「愛と哀しみのボレロ」~高橋大輔選手の演技から~
オリンピック、楽しかったですね~。
おかげで、すっかりブログがご無沙汰になってしまいました。^^;
選手のがんばりには、ほんとに生きる力をわけもらった気がします。^^
なかでも、わたしが一番印象に残ったのが、男子フィギアの高橋大輔選手です。
結果は銅メダルながら、その情熱的な演技は、荒川静香さんが言っていたように、「この日いちばんの演
技」、だったと思います。
特に、最後のほうの力強い演技に、私はバレエ界のスターダンサーだった、ジョルジュ・ドンを思い出し
ました。
彼のすばらしいダンスは、映画「愛と哀しみのボレロ」(1981年)で見ることができます。
『愛と哀しみのボレロ』 1981年、フランス
この映画で圧巻なのは、ラストのジョルジュ・ドンが踊る「ボレロ」です。
高橋大輔選手のフリーの演技の最後近くにあった、力強く宙に突き出される手の振りなんて、いかにも
「ボレロ」のラストを思い出させてくれちゃうのです。
「ボレロ」の振りは、しずかに静かに始まってだんだんと盛り上がり・・最後のほうの盛り上がりは圧
巻です。まさに鳥肌もの!
『ジョルジュ・ドン』
1947年2月25日アルゼンチンのブエノスアイレス生れ。4歳の時にバレエを始めテアトロ・コロンのダンスアカデミーで伝統古典舞踊を学ぶ。
16歳で単身ベルギーに渡り、二十世紀バレエに入団した。その後、ベジャール作品の最も重要なダンサーとして「我々のファウスト」「ニジンスキー・神の道化」「愛が私に語りかけるもの」「わが夢の都ウィーン」「マルロー、あるいは神々の変貌」「ディオニソス」など、ほとんどすべての作品に出演。19
76年二十世紀バレエ団の芸術監督になる。
76年二十世紀バレエ団の芸術監督になる。
ベジャールのボレロも、最初は女性ダンサーを主軸に創作されたものだが、
1979年にジョルジュ・ドンが踊ったときから、まるでこの踊りは彼のためにあるかのようになってしまった。
1981年クロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」にダンサーとして出演し、一躍有名になる。
彼の踊る「ボレロ」は一度見たら決して忘れられない舞台。
1988年にはヨーロッパバレエ団を結成、しかし、それは長く存在しなかった。1989年コネックス財団にて最も優秀な男性ダンサーの一人に選ばれる。
1979年にジョルジュ・ドンが踊ったときから、まるでこの踊りは彼のためにあるかのようになってしまった。
1981年クロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」にダンサーとして出演し、一躍有名になる。
彼の踊る「ボレロ」は一度見たら決して忘れられない舞台。
1988年にはヨーロッパバレエ団を結成、しかし、それは長く存在しなかった。1989年コネックス財団にて最も優秀な男性ダンサーの一人に選ばれる。
1992年11月30日エイズにより死去。
彼の想い出として世界中の大くの振り付け家が作品を作り彼に捧げたモーリス・ベジャール「バレエ・フォー・ライフ」デニス・ガニオ「タンゴ…ジョルジュ・ドンのための薔薇」キャロリン・カールソン「ジョルジュ・ドンに捧ぐ」グラツィア・ガランテ「マスティカンド・スエーニオス」(「夢に浸る」)。
http://jp.jorgedonn.com/bio.html
彼の想い出として世界中の大くの振り付け家が作品を作り彼に捧げたモーリス・ベジャール「バレエ・フォー・ライフ」デニス・ガニオ「タンゴ…ジョルジュ・ドンのための薔薇」キャロリン・カールソン「ジョルジュ・ドンに捧ぐ」グラツィア・ガランテ「マスティカンド・スエーニオス」(「夢に浸る」)。
http://jp.jorgedonn.com/bio.html