うちの旦那が狙われた!~松本サリン事件2~

  前回の記事、「松本サリン事件」の続きです。



そんなわけで、もろに夫はオウムから狙われたことになります。


平城7年3月20日の朝、大変な一日が始まるとは露知らず、新婚のわたしはいつものように、

朝7:30に、夫を車で駅へ送ってから、一人の朝食をのんびりとって、それからいつものように2人分

のお洗濯をしました。



そんなふうに普段通りの朝のはずなのに、見ていたTVがなぜか、急にあわただしくなりました。

突然の番組中断、ニュースの読み上げ。

え、毒ガス、地下鉄?霞ヶ関??

あわただしく、私の頭の中で時間の計算が始まります。

もしかして、夫は事件の時間に、まだ電車の中では??

不安がよぎります。

事件を心配した主人の母からTELがあったけれど、

私にも、何もわからない・・・。



お昼ごろ夫から、無事を知らせる℡があり、ほっと一安心。

なんだ、なんでもなかったのだ。

夫の出勤時間とずれていたのだ。よかった・・・。




でも、家に帰ってきた夫に詳しく聞いたところ、実はかなり、きわどかったらしい。


いつものように出勤のため地下鉄に乗った夫は、あと一駅で目的の霞ヶ関駅というところで、

なんの知らせもないまま、突然電車が止まってしまったそうだ。

夫は不審に思いながらも、出勤しなければならないのであとは歩くことにしました。

地下鉄の一駅は歩いてもたいした距離ではないし。

霞ヶ関駅付近に到着した夫は、騒然とした現場を目の当たりにしました。

救急車が何台もとまり、救急隊員が懸命に人口呼吸をしている方がいました。

そのときは、一体なにが起っているのかわからないままでした。


役所に入って、オウムが地下鉄にサリンを撒いたこと、それがどうやら夫が乗った電車の一本前の電車ら

しいことなど、知ったのです。

そして、人工呼吸を受けられていた霞ヶ関駅の職員の方が、お亡くなりになられたことも。

地下鉄サリン事件」が起こったのです。



まだ、続きます。また長くなっちゃいました、すいませ~~~ん。




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地下鉄サリン事件(ちかてつさりんじけん) .1995年(平成7)3月20日、東京都でおきた無差別大量殺人事件。東京・霞が関(かすみがせき)を通る営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷(ひびや)線、丸ノ内線、千代田線の3路線計5本の車内で、午前8時ごろ、猛毒ガス・サリンが相次いでまかれ、乗客、駅員ら11人が死亡、約3800人(実際の被害者は約5500人ともいわれる)が負傷した。警視庁は、オウム真理教(2000年アレフ、2003年アーレフに改称)による組織的犯行と断定、同年5月、同教団の代表麻原彰晃(あさはらしょうこう)(本名・松本智津夫)らを殺人などの容疑で逮捕した。首都中心部を大混乱に陥らせることで、当時、目黒公証役場事務長拉致(らち)監禁致死事件(同年2月28日発生)で教団に向けられた捜査のほこ先をかわそうと計画されたものという。96年6月には意識不明のまま入院していた会社員が死亡して、死者は12人になった。2004年2月、松本智津夫は、本事件を含む13事件すべての首謀者であるとして、東京地裁(一審)で死刑の判決を受けた。弁護側は控訴したが06年3月東京高裁が公判手続を打ち切る控訴棄却を決定、同年9月最高裁は弁護側の特別抗告を棄却し、死刑が確定した。

[執筆者:福井仁法]