犯罪とゆるし~アーミッシュ~

朝日新聞に載っていた、
アーミッシュの「ゆるし」についての対談です。

日本では小中学校時代にいじめを受けた子が、卒業後に出身校へ押し入り、
子どもや職員を殺傷する報復事件が少なからずあります。国際社会における
報復と同じようなものです。
我々は報復が正当化される社会、文化の中で生きている。そういう凶悪犯をただ責めるだけ
では本質的な解決にならない。生きづらい競争主義、優勝劣敗の社会や価値観そのものを変えないと、
こういう事件を根本的に防ぐことはできないのではないか。そういう意味では、アーミッシュ
ら学ぶべきことは大変多いと思います。
 
  
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 自動車や電気を拒み、非暴力を貫く米国のキリスト教の一派、アーミッシュ
 06年秋、彼らの学校を男が襲い、女児5人を射殺した。惨劇の直後、彼らは自殺
 した犯人の家族を訪ね、「ゆるし」を伝える。不寛容が覆う世界を驚かせた行動
 は何を教えるのか。ノンフィクション作家、柳田邦男さんと、米国の研究者、ド
 ナルド・クレイビルさんが語り合った。   (構成・今田幸伸、池田洋一郎)

 柳田 
凶悪な犯罪でも即座にゆるす。
我々の文化では考えられないが、それが 
アーミッシュの最も本質的な部分と知っ 
て、大変驚きました。「報復」という言 
葉が支配的な時代に、宗数的な「ゆる 
し」の信念がしっかり根づいているアー 
ミッシュの存在は、刺激的です。   

クレイビル
 米国の心理学的研究によ
ると、ゆるし(フォーギブネス)には二      
つの段階があります。まず、被害者が苦  
しみや憤りをできるだけ自分から語るこ 
とによって、痛みを心の中から追い出し 
てしまう。次いで、報復行為をすべてあ 
きらめるのです。いずれもとても苦しい 
仕事ですが、被害者にとって利益につな 
がると最近わかってきました。幸せな気  
持ちになれ、血圧まで下がるという。  
 重要なのは、「ゆるし」は、罪を犯し 
だ者を捕まえて償わせる司法とはまった 、
く違うということです。アーミッシュは 
厳格に区別します。学校銃撃事件の犯人  
は自殺しましたが、「もし生きていた 
ら」と彼らに聞くと「刑務所に行くべき 
です。でないと、またほかの子どもが撃 
たれる可能性がある」とみんな言いまし
た。’「私たちは犯人をゆるすが、それ
でも彼は司法により裁かれて刑務所に入る
べきだ」というアーミッシュの区別はと
ても重要です。「ゆるし」と司法的な観
点を混乱させている人が多いが、「ゆる
 し」は赦免ではない。
 
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 柳田
ゆるすことによって自分の心が
 癒やされ、解放される。アーミッシュ
人たちは、もしゆるさなかったらいつま
でも悲しみを引きずり、あるいは健康を
損なうほど悲しみをためて、恨みが続い
ていくと考えているのでしょうか。

クレイビル 
もしゆるさなければ、自
分たちが神様にゆるしてもらえない、と
いう宗数的な理由があります。永遠の救
いは「ゆるし」に関係しているという、
とても強い動機づけがあるんです。

柳田 
銃撃事件の際、米紙の論説委員
が、自分の子どもが殺されても、犯人を
ゆるして平気でいられる社会に我々は住
めるのか、という論説を書きました。
 
クレイビル 
覚えています。
 
柳田 
日本の社会でもまったく同じで
す。山□県光市で99年に起きた母子殺害
事件では、第一審、第二審は、犯行時18
歳だった被告を無期懲役にしました。被
害者の夫は、死刑でないのはおかしいと
裁判所や社会に訴え続け、世論やメディ
アもそれを後押しした。最高裁は審理を
高裁に差し戻し、昨年、差し戻し控訴審
で死刑判決が出ました。裁判所は正義を
貫いたと夫は納得し、メディアも当然の
判決と歓迎した。
 この事件は、凶悪犯に対して一般の日
本人がどういう感情を持つかを象徴的に
示しました。でも、悲惨な生い立ちが被
告の人格形成をゆがめたことを考えれ
ば、被告が人生をやり直せるような道を・
開くべきではなかったかという観点から
の意見も、少数ですが、あるんです。
 
クレイビル 
米国にも20年ほど前から
リストラティブ・ジヤスティス(修復的
な司法)という仕組みがあります。あま
りに暴力的な犯罪には使われませんが、
被害者と加害者が合意すれば、専門家が
仲をとりもってヽ被害者は犯罪で受けた・
苦しみを、加害者はそれに対する思いを・
互いにぶつける。そこで加害者が後悔の
念を示して謝罪を表明したら、刑期が短
縮される。加害者は早く出所した分、働
いて被害者に弁償するのです。    ・・
 この仕組みは「ゆるし」とは違いま・・
す。刑は実際に執行されるから免赦で
もない。ただ、加害者はどんなに人を苦
しめてしまったかを知ります。被害者に
も「犯人も同じ人間だったのだ」という
ことがだんだんわかってくるわけです。
 
 柳田 
私はグリーフワーク(悲しみの
緩和)を研究しています。病気や災害、
事件・事故で大切な人を失ったら、残さ
れた人は喪失態の中でこれからどう生き
るかを探さねばならない。大変難しく、
つらい仕事ですが、加害者や過失責任者
が非を認めなかったり、反省せず自分を
正当化したりすると、        
、被害者はますます                   
怒りを感じて、悲しみが深くなり、つら             
さも倍加する・グリーフマーー・クの歩みが        
  阻害されるのです。アーミッシュの場合
  は被害者が自ら積極的に相手をゆるすこ
  とによって、自分がグリーフワークをす
  る条件を整えていくのですね。
   
クレイビル 
その通りです。銃撃事件
  の最中、犯人は奥さんに携帯電話で「神
  に怒っている」と伝えました。9年前に
  彼の幼い娘が死にましたが、犯人は娘の
  死についてグリーフワークをしてこなか
  った。その結果、怒りがほかの女の子を
  殺すことに向かってしまったのです。
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   柳田 
今の社会を支配している報復主
  義を象徴しているようですね。それに対
  してアーミッシュの「ゆるし」は対極に
  ありますが、とても思考を揺さぶられま
  す。ゆるすかゆるさないかの中間に、何
  か選択肢があるのではないでしょうか。
   
クレイビル 
アーミッシュは米国の中
  でも、とてもユニークな存在です。宗教
  を基盤とする対抗文化的なコミュニティ
  ーで、その中核をなす信念が「ゆるし」
  にあるわけです。ですから、現代社会の
  モデルにはなり得ないかもしれません。
  ただ、興味深かったのは、事件が起きた
 ときにほとんどの米国人が「何てすばらしい、
みんながこのようにゆるせば、も
っと幸せな、平和な世の中になるだ
う」という反応を示したことです。ふ
うの人たちはアーミッシュにはついて
けないと感じているにもかかわらず、とて
も心の通ったことをしてくれた、そこ
にあこがれるということですね。
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柳田 
85年に日本航空のジャンボジェ
ット機が群馬県御巣鷹の尾根に墜落し
て520人が亡くなりました。その後、
日航と犠牲者の遺族とはずっと対立して
きました。私は05年に日航から安全アド
バイザーを依頼された時、遺族との和解
をどうすればいいかと考え、事故機の残骸
や遺品を展示しヽ社員の安全教育に役
立てるよう提言しました。それで残骸や
遺品を展示する安全啓発センターが羽田
空港の整備地区にできた。すでに3万6
千人の社員がそこを訪れ、自社と世界の
事故の歴史や安全のために忘れてはなら
ない経験を学んでいます。そうしたら遺
族と日航の関係が大きく変わりました。
 
クレイビル 
安全啓発センターーをつく
ったことが、両者の間を縮めていったの
ですね。中間点を探して儀式化したとい
うことでしょうか。
 
柳田 
儀式化ではなく、繰り返しては
いけないことを、新しい世代も血肉化す
る意識改革の学びの湯です。
 
クレイビル
 国際的にも興味深いので
詳しい資料が欲しいですね。米国では、
多くの人々がベトナム戦争は間違いだっ
たと思い、戦死した兵士の遺族は今もと
ても怒っています。しかし、政府は決し
て謝罪はしない。そこで遺族たちは寄付
金を募ってワシントンに追悼碑を建て
た。首都にこのような施設を建てること
を、政府が許したのです。それは、戦争
で亡くなった人たちに政府が敬意を抱い
ていることを表したのと同じです。これ
も中間点を探す試みだったと言えるので
はないでしょうか。
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柳田 
日本では小中学校時代にいじめ
を受けた子が、卒業後に出身校へ押し入
り、子どもや職員を殺傷する報復事件が
少なからずあります。国際社会における
報復と同じようなものです。我々は報復
が正当化される社会、文化の中で生きて
いる。そういう凶悪犯をただ責めるだけ
では本質的な解決にならない。生きづら
い競争主義、優勝劣敗の社会や価値観そ
のものを変えないと、こういう事件を根
本的に防ぐことはできないのではない
か。そういう意味では、アーミッシュ
ら学ぶべきことは大変多いと思います。
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 クレイビル
 アーミッシュは、宗教は
復讐ではなく「ゆるし」であり、心の平
安なのだということを示している。で
は、そうした価値観をどのように子ども
に教えていくのか。アーミッシュに「な
ぜゆるすのですか」と聞くと、「我々の
社会の中でそう決まっているのです」と
答えます。独特な服装や言語、文明の利
器を選択的に使う生活習慣という強いシ
ンボルに特徴づけられた社会の中で子ど
もたちは育ち、教師や親だちから社会的
な価値を教えられていくのです。
 
柳田 
子どもの頃から宗数的倫理観や
生活習慣を養っていく意味は、現在の日
本社会でもとても大事だと思います。そ
れは、仏教とかキリスト教とか特定の宗
教の中で育つということではなくて、も
っと日常の心の習慣を養うことにかかわ
ることです。「ゆるし」は、それを生む
基盤となる社会なり文化が問われる。し
かし、現代は非常に合理主義的で、規則
やマニュアルに支配されていて、「ゆる
し」が生まれたり、被害者と加害者が折
り合いをつけたりすることが難しい時代
ではないか。「ゆるし」の問題を考える
ことは、我々が生きている社会の文化を
考えることでもあるかもしれません。